平安時代、「蟻の熊野詣」 と呼ばれ 天皇のはじめ多くの貴族がこぞって熊野へ参詣した時期がありました。
後白河上皇には34回 熊野へ御幸されたと記録があります。
京から熊野への参詣道は、現代では熊野古道と呼ばれていますが、この熊野古道には王子社と呼ばれる小祠があります。熊野九十九王子とも呼ばれるほどたくさんあったようです。
これらの王子では儀礼がおこなわれたといいます。
さて、伊太祁曽神社も熊野古道沿いにあります。
観光パンフレットなどには神社近くを通っているように記されていますが、熊野詣が盛んだった当時はその参詣道の一部であったと考えるのが自然です。
伊太祁曽神社は延喜式内社ですし、鎮座の時期は奈良朝より古い時代になります。
熊野の神々に参拝することを目的に、道中でも様々な祈りを捧げながら旅をした当時の人々が、通り道の近くに歴史と格式をもった神社があるのに素通りすることは、ちょっと考えられないからです。
いずれにしても、伊太祁曽神社の氏子地区に熊野古道が通っており、2つの王子があります。
その内の1つ、奈久智王子のお社の傷みが激しく建て直すことになりました。
改築にあたっての奉告祭を節分の2月3日に行いました。
実際の工事は4月頃になるようですが、とにかく節分に一回お祭りをしておきたいという、王子社の持ち主の強い意向もあり、奉告祭を執り行いました。
工事の際には仮殿を建てる土地の清祓い、そして新しい社殿が出来上がったら遷座祭・奉告祭を執り行います。
[4回]
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