杉原千畝(1900-1986)は、「日本のシンドラー」 とも呼ばれる人で、第二次世界大戦中にナチスの迫害を受けたユダヤ人難民にビザを発給した人です。
ソビエト連邦がリトアニアを併合した後は、各国領事館・大使館に対して閉鎖を促して行く中、日ソ不可侵条約の為に日本領事館は最後まで業務を行う事が出来、多くのユダヤ人がオランダ領への通過ビザを求めてきました。
当時日本政府はユダヤ人に対して中立的な政策を公式にとっていましたが、実際にはその発給基準を高く設定しており、事実上は発給許可が殆どのユダヤ人に対してなされない状態でした。
また松岡洋右外務大臣より 「難民へのビザ発給は許可できない」 という通達が発せられます。
しかし、千畝は人道的理由から外務省の方針に背いて、ユダヤ人難民に無制限にビザの発給を行いました。
その数は、番号が記録されているもので2000枚余。作業の効率化のために途中から番号を記録するのをやめてしまったといわれており、また1家族に1枚のビザがあれば用をなしたことから、非常に多くのユダヤ人難民の命が救われたといわれています。
杉原千畝に関する著書も多く出版されていますが、あまり日本人には馴染みのない人物でした。
終戦60年を記念して、「日本のシンドラー杉原千畝物語 六千人の命のビザ」 が日本テレビ系列で放映され、多くの人が改めて知るところになったと思います。
私もこのドラマを見て、「こういう人がいたんだ」 と知りました。
【参考リンク】
リトアニア杉原記念館
杉原千畝記念館(岐阜県八百津町)PR
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