3月7~8日と神道青年連絡協議会の役員会、第3回連絡会、研修会に出席してきました。
今年は奈良県神道青年会が当番で行われています。
連絡会では通常の報告事項に加えて、特別報告が3点行われました。
1つは東日本大震災に関する報告で、福島県神道青年会の村上会長。
1つは竹島み関する報告で、島根県神道青年会の青木会長。
1つは北方領土に関する報告で、北海道神道青年会の前田会長。
3方より貴重な報告をいただきました。
で、引き続いての研修会では奈良芸術短期大学の前園教授より
『古事記』編者 太安萬侶の墓誌と墓 と題した御講演をいただきました。
前園先生は橿原考古学研究所にいらっしゃった際、この太安万侶のお墓の発掘調査に携わられたため、大変に貴重なお話を伺うことができました。
そして翌日の研修会では、実際に太安万侶卿のお墓を訪ねるという日程。
まずは神武天皇陵をお参りし、橿原考古学研究所付属博物館へ。
こちらでは出土した太安万侶の墓誌や、お墓の発掘時の状態を復元した模型が展示されています。
前日の前園先生の講義を思い出しながら、じっくりと拝見してきました。
続いては、太安万侶も祀られている 多神社(おおじんじゃ) を参拝。
多神社は正しくは
多坐弥志理都比古神社(おおにますやしりつひこじんじゃ)と言い、御祭神は第一殿が神武天皇、第二殿が神八井耳命、第三殿が神淳名川耳命、第四殿が姫御神をお祀りしています。
そして境外摂社である小杜神社に太安万侶がお祀りされているのです。
その後、バスで30分、徒歩20分の移動をして太安万侶卿のお墓を訪れました。
大変な急斜面の茶畑の一端にその場所はありました。
現在はずいぶん整備されたということで、階段に手すりもあり、花立や線香立てもありました。
『古事記』 偽書説 が広く唱えられた時代には、序に記された太安万侶の存在すら疑問視されたことがあったようですが、墓誌が出土したことで状況は一転したと言えます。
太安万侶のお墓は一度訪れてみたいと思っていましたので、今回の研修は非常に良いものでした。
昨年は古事記編纂1300年という節目の年。でしたので、重ねて興味深く参加してきました。
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