木の神様を祀る伊太祁曽神社(和歌山市鎮座)のブログ。
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今年も夏詣の御朱印を実施します。
【夏詣】
年末に「大晦日の大祓」を行い1年間の罪穢れを祓い清めて、新年に神社仏閣に詣でるように、「夏越の祓い」で半年間の罪穢れを祓い清めた後、暑い夏と残りの半年を無事に過ごせるように神社仏閣に詣でましょうという、新しい習慣として提唱され全国各地に広がっています。
夏詣に際してはその期間限定朱印を授与することが奨励されており、伊太祁曽神社でも取り組んでいます。今年は8月16日までを期間と定めて実施しています。
端午の節句にはチマキを食べます。
これはスサノオ様の教えで、疫病の痛みや苦しみから免れることができるとされています。
疫病から家族を守る「蘇民将来之子孫札」とあわせてどうぞ。
新型コロナウィルスによる感染症(武漢肺炎とも言う)の蔓延を防ぐため、マスクや手洗い、不要不急の外出を控えるなどの具体策を皆さん取っておられると思いますが、以前収束の兆しが見えてきません。
そんな中「アマビエ」と呼ばれる妖怪の絵が疫病退散に霊験あるとして広まっています。
アマビエは肥後国(今の熊本県)に現れ、豊作と疫病の蔓延を予言し、自らの姿を描いた絵を人々に見せるように言い残して海に帰っていったと伝わる、半人半魚の妖怪だそうです。
アマビエ伝承は1件しかなく、肥後国の他に日向国(宮崎県)や越後国(新潟県)などでも同様の伝承のある「尼彦(あまびこ)」の間違いではないかという説もあるようです。
アマビエの目撃記録は弘化年間(江戸時代後期)ですから、今から200年足らず前のことです。
それはさておき、日本には古来、疫病退散の伝承として「蘇民将来」の話が伝わっています。
『備後国風土記』には次のような概要の話が記されています。
旅の途中で日が暮れてしまった「武塔」という名の神がいました。
その土地に住む兄弟に宿を求めた所、裕福な弟は申し出を断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらももてなしをしました。
何年か後に武塔神は8人の子供を連れて再びこの地を訪れました。そして蘇民将来の家を訪ね「腰に茅輪を提げるように」と伝えます。蘇民将来とその家族は言われるように行いますと、その夜、弟の家族は皆亡くなってしまいました。
武塔神は「私は須佐之男の神である。この先、疫病が流行るときは、蘇民将来の子孫だと云って茅輪を腰につけていれば、疫病にかかることはない。」と云いました。
武塔神は須佐男神であると自ら明かしており、須佐男神を祀る京都の八坂神社の祇園祭は、疫病退散のお祭りとして広く知られています。
その祇園祭の山鉾巡行が今年はこの疫病の関係で中止が決定されました。一部の報道では「今年の祇園祭は中止」「疫病退散の祭りが中止」などとされていますが、正確には ”祇園祭の中の山鉾巡行” が中止になるのであって、祭典そのものは神職だけであれ行われるものと思われます。
また祇園祭が斎行出来なかった室町時代のある時期には、八坂神社の北に鎮まる粟田神社の粟田祭をその代わりにしたとも云われます。
終わりの見えてこないこの疫病の早期退散には神仏の力も必要かと思われますので、いずれにせよ ”いたずらに” 祭祀の中止という誤情報を流すことの無いようにしていただいたいものです。
八坂神社、粟田神社、祇園祭、粟田祭の詳細については各公式ページをご確認下さい。
さて、蘇民将来伝承では「茅輪を腰から提げていればそれが蘇民将来の子孫の証となり、疫病から免れることができる」と須佐男神と言い渡し、そこから玄関に茅輪を掲げる習慣、そして「蘇民将来之子孫」「蘇民将来子孫之家」などを書き記すようになりました。
この辺りの詳しいことは、弊ブログの過去記事「疫病から家族を守る御札」を御覧ください。
この伝承は『備後国風土記』によるものですが、後世に記された陰陽道の秘書『簠簋内伝(ほきないでん)』には、更に次のようなことが書かれています。
もしこれら病の痛み苦しみから免れたいと願うなら、五節句の祭礼を正しく執り行い二六の秘文を守って厚く信敬するように
1月1日は紅白の鏡餅、3月3日は蓬の草餅、5月5日は菖蒲の粽、7月7日は小麦の素麺、9月9日は黄菊の酒を頂き、年始には門松を立て、葬儀は威儀を糺して行え。
京都の八坂神社では、この『簠簋内伝』の伝承により7月7日の七夕に素麺を食べると厄除けになるという社伝があり、またこの社伝が日本での素麺の始まりとされています。
現代では3月3日の桃の節句と5月5日の端午の節句以外は「節句」という言葉を聞くことがなくなりましたが、1月7日(1日という説も)は人日(じんじつ)、3月3日は上巳(じょうし)、5月5日は端午、7月7日は七夕、9月9日は重陽という「五節句」でした。
既に賢明な読者の皆さんは「茅の輪」や「”蘇民将来” と記された御札」を手に入れ玄関に掲げられていると思います。
それに加えて節句の儀式を正しく行うことで、さらなる疫病封じになると思うのです。
伊太祁曽神社でも右のような「蘇民将来之子孫」と記した御札を無料にて頒布しておりますので、まだお持ちでない方は神社にお参りの際にお持ち帰り下さい。(接触を避けるため9:00~16:00の間授与所前に置いています。ご自由にお持ち帰り下さい。)
緊急事態宣言は5月6日までとなっています。今の様子ですと、おそらく延長されるとは思いますが、一旦期日となっている5月6日の前日は端午の節句。
『簠簋内伝』に記される「菖蒲のチマキ」をいただいたり、日本では一般的になっている端午の節句の食べ物「柏餅」を頂くことが、陰陽道に通じる「コロナ除け(現代の疫病除け)」と言えるのではないでしょうか。
蘇民将来の御札を貼り、5月5日にはチマキや柏餅を食べて疫病に打ち勝ちましょう。
#stayhome #端午の節句 #柏餅 #菖蒲湯 #ちまき #鯉のぼり
お話のあらすじは以上の通りです。旅の途中で日が暮れてしまった「武塔」という名の神がいました。その土地に住む兄弟に宿を求めた所、裕福な弟は申し出を断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらももてなしをしました。何年か後に武塔神は8人の子供を連れて再びこの地を訪れました。そして蘇民将来の家を訪ね「腰に茅輪を提げるように」と伝えます。蘇民将来とその家族は言われるように行いますと、その夜、弟の家族は皆亡くなってしまいました。武塔神は「私は須佐之男の神である。この先、疫病が流行るときは、蘇民将来の子孫だと云って茅輪を腰につけていれば、疫病にかかることはない。」と云いました。
◆ご参拝の皆様へ◆
新型コロナウィルス感染拡大防止のため
神職・巫女もマスク着用の上対応させていただきます。
ご参拝の皆様方におかれましても
マスクの着用をお願いいたします。
人との接触を極力減らすという観点より、以下につきましては記載の通りの対応とさせていただきます。ご了承下さい。
尚、内容につきましては状況に応じて変化する場合がありますので予めご了承下さい。
●社務所・授与所の開所時間の短縮
午前9時~午後4時(通常は午後5時)
●祈願祈祷の受付(完全予約制)
前日午後4時までの予約分のみといたします。
参拝者どうしの接触を避けるため、受付間隔を通常より長くします。
●御朱印の受付(当面の間休止)
緊急事態宣言解除後、同期間中の日付による御朱印帳への記載には対応いたします。
但し、御朱印帳の持参、または郵送が必須です。(紙に書いたものは準備いたしません)
●木の俣くぐり証明書の発行(当面の間休止)
来月1日に皇太子殿下が帝位に就かれ、光格天皇以来実に二百数十年振りに受禅践祚が行われます。
巷では「譲位(退位)」「改元(新元号)」と騒がしく言っていますが、一番祝うべきことはこの5月1日で「皇太子殿下が天皇の位に就かれる」だと思います。
ここで私は「即位」という表現を敢えて避けています。戦後、我が国は天皇の「即位」とダブルミーニングで使用してしまうようになりましたが、戦前であればこの5月1日は「践祚(せんそ)」であり、「即位」は令和元年10月22日の「即位の礼」を以て行われると報道されたはずです。
「践祚」とは天皇の位を継ぐことであり、「即位」は天皇の位に就いたことを広く内外に知らしめることを言います。
そして先帝の崩御による践祚を「諒闇践祚(りょうあんせんそ)」と言い、今回のように先帝が譲位の御意向を示されて行われる践祚を「受禅践祚(じゅぜんせんそ)」と言います。
このあたりの詳しいことは項を改めるとして、この御代替わりに際して全国の神社では、関連の祭祀が執り行われます。
伊太祁曽神社の場合は、以下の日程で祭祀を予定しています。
平成31年
4月29日 午前10時 昭和祭、併せて御譲位御安泰に関する祭祀
令和元年
5月1日 午前10時 践祚改元奉告祭、併せて月次祭
10月22日 午前10時 即位礼当日神社に於いて行う祭祀
11月12日 午後4時 臨時大祓(大嘗祭に際し)
11月14日 午前11時 大嘗祭当日神社に於いて行う祭祀
また、本年は大嘗祭が斎行されるため宮中では新嘗祭がありません。
各神社でも同様に新嘗祭の斎行はありません。
本日、午前10時より「天皇皇后両陛下御結婚満60年奉祝祭」を斎行しました。
天皇陛下には皇后陛下と御結婚されて満60年という年月を重ねられ、世に言う「ダイヤモンド婚」をお迎えになられた訳です。
御譲位を今月末に控えられ、いよいよ天皇の御位に就かれているのもあと数日となって来ましたが、その中でこの佳き日をお迎えになられ、全国の神社で奉祝祭が執り行われました。
写真の茄子は当神社での祭典にあたり神饌としてお供えされたものです。
よく観てください。1つのヘタに2つの実がなっています。
まるで両陛下のように寄り添ったこのナスは、今日のお祭りに最適なお供えだったかもしれません。
今回初めての取り組みとして、元日と2日に「新春初笑い 招福こども寄席」を行いました。
昔から「笑う門には福来たる」と言います。年頭に笑顔でいられることは福を呼び込むことに繋がります。
今回、寄席を行ってくれたのは「わかやま楽落会」の子供たち。
子供だと侮ってはいけません。全国から子供落語家が集まる大会で賞をとった実力者もいます。
新春から多くの方にご来場いただき、沢山の笑顔が花開きました。
来年の正月も開催することが決定しました。今年はお運びいただけなかった方は、是非来年お越しください。