木の神様を祀る伊太祁曽神社(和歌山市鎮座)のブログ。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
12月も中盤になりました。今年もあと半月です。
先日、政府より今上陛下の譲位に伴う改元を平成31年5月1日に行うという発表があり、平成の御代もあと1年と少しとなります。
12月は古くより「師走(しわす)」とも言います。文字通り「師が走る」から名付けられたという説明がありますが、この「師」の解釈がいろいろあるようで・・・(笑
師だから学校の先生として説明している場合もありますが・・・。
私は「御師」と理解しています。御師は「伊勢御師」が最も有名で、伊勢のお祓い大麻を全国に頒布して回った人達です。近世には数百人もの御師がいたそうですが、そのあたりについてはまた改めて記したいと思います。
話が横道にそれてゆきましたが、タイトルの話題に進めたいと思います。
年が改まると、多くの人が神社仏閣に「初詣」に出かけると思いますが、果たして「初詣」という習慣はいつからあるのか考えたことはありますか?
「そんなの昔からあるに決まっている」と思った貴方、実は大間違いのようです。
少なくとも、古い歳時記には「初詣」は記されておらず、当然「初詣」を詠んだ和歌もないのです。「初詣」が俳句の季語として取り上げられるようになったのは明治末期だという説もあります。
それでは、初詣の歴史を紐解いてみましょう。
初詣については、小説家で俳人の高桑義生氏が伏見稲荷大社が発行する『朱(あけ)』に寄稿した「俳句に見る初詣と初午」というエッセイの中で、古句には恵方詣を詠んだものはあるが「古歳時記をひもといても初詣の季語すら無い」と記しているそうです。
そして橋本直氏の研究では「初詣」が初めて歳時記に登場するのは明治41年の『俳諧例句新撰歳時記』(今井柏浦氏)と記されているそうです。但し「初詣」という項目があるだけで「初詣」を含む例句は示されていないとか。「初詣」と詠みこんだ句が登場するのは大正に入ってのようです。
さて、鉄道網の発達は人々の行動範囲を飛躍的に広げてゆきますが、年頭の参拝・参詣は神社仏閣の縁日や、恵方参りにちなんで行われたようです。年が改まっての最初の縁日は「初卯(住吉大社、亀戸天神など)」「初巳(弁財天)」「初天神(天満宮25日)」「初太師(21日)」「初不動(28日)」「初午(2月:稲荷大社)」などと呼び賑わったようです。また恵方参りは、現代では節分の恵方巻きですっかりと有名になった「恵方」にある神社仏閣に参拝・参詣する風習で、自宅より恵方の神社仏閣には歳徳神(としがみさま:その年の幸を司る)がいらっしゃるとして、こぞってお参りしたようです。現代人の「正月にどこかの神社仏閣に参拝参詣する」という「初詣」は、明治期の人達にとっては不自然な行為にも映ったようです。
したがって年明けに神社仏閣に参拝参詣する現代で言うところの「初詣」のルーツは「恵方参り」にあると言っても良いのでしょうが、恵方参りには「自宅から恵方の方角にある神社仏閣に詣る」というルールが有りました。
今日的に言う「初詣」には参拝する神社仏閣や、その時期についても一切の決まりごとはなく、極端なことを言うならば夏頃までどこの神社仏閣にも足を運んだことのなかった人が、例えば7月に初めて神社参拝を行って「これが私の初詣」と言ったところで一概に誤りとは言えないくらい巾が広いものとも言えます。
また、近年非常に増えているのが、大晦日夜から元旦にかけて出かけて神社仏閣などに参拝参詣する「2年詣り」
特に、様々な施設などでカウントダウンイベントなどが開催されていることが拍車をかけているようで、毎年大勢の人が繰り出している様子が報道されています。
個人的にはこの「2年詣り」というのはあまり良い風習とは思っていません。
なぜならば、その年の幸福を司る ”歳神様” というのは大晦日から元旦にかけて各家庭を巡ると考えられてきました。そしてその歳神様をお迎えする目印が門松であり、歳神様へのお供えが(床の間にお供えする)鏡餅と考えられてきました。
即ち、新しい年の幸福を司る神様がせっかく自宅にいらっしゃるのに、その時刻に家族が不在でお迎えできないことほど残念なことはないと思うからです。
できれば、大晦日は自宅にいて元旦を迎え、歳神様をお迎えしましょう。
そして正月1日の午前中に自分が住んでいる土地の氏神様に年始のご挨拶に参拝し、続いて自宅から恵方にあたる方角の神社仏閣に「初詣」して、新しい年の幸福を祈りましょう。
勿論、毎年恒例で参拝する神社仏閣にお参りされるのも構いません。
COMMENT