以前に、神社の祭礼と暦についての質問がありましたので取り上げさせていただきたいと思います。
質問の内容は、こういうものでした。
4月1日は旧暦で2月25日です。
現在、祭礼の日程はすべて太陽暦の日にちとなっているようですが、明治以前はどうだったのでしょうか?
教えていただけませんか?
これを説明するためには、まず暦について少し予備知識を仕入れておかなくてはいけません。
現在の日本では、太陽の動きを基準にした 「太陽暦」 が用いられています。
ところが明治以前は月の動きを基準にした 「太陰暦」 が用いられていました。これを 「旧暦」 と呼んでいます。
正確には、月の動きをベースに、太陽の動きも加味した 「太陽太陰暦」 なんですけどね・・・。
[0回]
まずは、太陽太陰暦について正しく理解しておきましょう。
純粋な太陰暦では、12ヶ月で約354日となり、太陽暦の1年(365.24日)より11日短くなってしまい、実際の季節と暦にずれが生じてきます。
そのため閏月を適宜設けて、暦と季節のずれがなくなるようにしたものが 「太陰太陽暦」 です。
暦を用いて農耕を行うには、季節とずれてしまうことは不都合なため、日本では太陰太陽暦が用いられることになったのだと思います。
ちなみに、純粋な太陰暦は33年経つと再び元に戻り季節と一致します。現在でもイスラム教圏では使用されているそうです。
少し話がややこしくなりましたが、大丈夫でしょうか?
ここから後は、特に断りが無い場合、「太陰暦」「旧暦」 というと 「太陽太陰暦」 を、「新暦」 というと 「現行暦」「太陽暦」 を指すこととして、話を進めたいと思います。
さて、日本では旧暦の明治5年12月2日までが旧暦が用いられていました。
翌日より新暦に改め、この日を明治6年1月1日として、現在へと続いています。
この日付のずれを見ていただけばわかるように、旧暦と新暦は概ね1ヶ月のずれがあります。(旧暦の方が遅い)
改元令は明治5年11月9日(旧暦)に布告し、翌月に実施されています。
こんなに急いで実施した背景には、旧暦のままだと翌明治6年には閏月があり、明治政府は13ヶ月分の給料を役員に支払わなくてはならなかったからだといわれています。
暦の変遷についてはご理解いただけましたでしょうか?
長くなりましたので、続きは来週にいたします。
PR
COMMENT