木の神様を祀る伊太祁曽神社(和歌山市鎮座)のブログ。
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この記事も、私が以前に記したこととほぼ同じ内容が書かれています。中国割り箸製造工場の恐ろしい実態!割り箸使用は本当に危ない!
日本人が年間使っているわりばしの量。なんと軽く260億本を超えるそうです。1日あたりにすると7,100万本が消費されているんですね。確かに仕事や外出先での外食の多くはわりばしを使ってますね。
なかなか日本では大きく取り扱われませんが、そのわりばしで恐ろしい健康被害の恐れがあることが分かりました。まず百聞は一見にしかずということで2つの画像を見てください。
(画像は貼っていません。リンク先を参照して下さい)
↑こちらは以前に話題になったことがありますが、割り箸を金魚鉢にいれたら7日後には金魚が死んでしまったそうです。
本来、あんなきれいな白いクリーンな木のわりばしなど存在せず、製造の過程で漂白剤、防カビ剤が大量に含まれています。
(画像は貼っていません。リンク先を参照して下さい)
↑こちらは、中国の有名俳優ホアン・ボー氏がレストランで仰天体験したSNS投稿です。彼がわりばしをきれいにしようと店員から水をもらってつけていたら、なんと水が黄色に変色し、変な匂いがしたというショッキングな出来事を紹介したものです。有名人の投稿だけに直ぐに125,000近くが転送投稿され中国では波紋を呼びました。
実際にわりばしの毒性について研究したレポートがあります。東京都健康安全研究センターの研究レポートで、わりばしに含有しているクロロエタノールの含有調査によると、わりばしや竹串などの竹製品を鶏などの食品に刺すと期間にもよるが3~24%が食品に移行することが確認できたそうです。
防腐剤に含まれるエタノール(ここでいうクロロエタノール)は、農薬などにも使われ、神経系統、肝臓などに影響を及ぼすことが知られていて国際的な危険有害分類基準では区分1「発がんのおそれ」に分類されているそうです。
日本ではこうした中国わりばしの使用量が9割以上です。大部分のわりばしは中国の貧しい小さな村で超低賃金で大量生産をしているのが現状です。竹製品の村工場が並ぶ合肥市の製造現場では教育を受けていない労働者が不衛生な環境で製造をしているそうです。
市の役員は「工場で働くものはみんなきちんとした教育を受けていないですよ。」「ほとんどのわりばしはすぐカビてしまいます。だから、工場で防腐剤と漂白剤を使ってるんです。」と言っています。
教育を受けていない工場で働くものがきちんと定められた薬品量で製造しているのかまでは誰も分かりません。割り箸の毒性に制限がなくなる中国政府のずさんな管理
問題は、中国の定める基準で製造がされているか当局から厳格な取り締まりがあるわけではなく、実質政府は見て見ぬふりをしているのが現状のようです。
こうしたわりばしを作る工場の多くの地域では製造の認可すら取っていないので、実際に製品元を探し当てることは難しく、製造自体が工場任せになっているのが現状とのこと。(!! これは恐ろしい事実・・)
中国国際食品包装協会のDong Jinshi氏は「政府には厳密な品質検査を担当するところなんてないですね。たとえば北京のダシン区にはわりばし工場が7、8あって、製造から箱詰めまで全てやっています。出荷後にいろいろな販売業者を通していくから、出荷したら工場のオーナーですらどのわりばしが自分の工場のものかなんて分からないんです。」と述べています。
こんな状況でしたら、ただでさえ有害物質が含まれているのに多くの工場がきちんと適量を使って製造しているとは考えにくいですよね。もしかしたら日本人は大量に使っているわりばしからの有毒摂取量によってかなり健康を害している可能性が高いです。
日本人が好きなラーメンやうどん、そば、お味噌汁など汁物でわりばしを使っていますが、水分を吸収したわりばしを毎度口に運んでいる行為はそのまま大量の漂白剤、防カビ剤を口に運んでいるのと同じことということになる訳です。(ほんとうに恐ろしい…。)
食品の安全には気を使っても意外と盲点になりがちなわりばし。もう一度「My箸」を持ち運ぶことを考える記事でした。
(参考元:上海日報.com; Disposable chopsticks hazardous to health , Natural News; Chopsticks in China loaded with deadly toxins )
なるほど。確かに、私は割り箸を水につけておいてどうなったかという ”実験” はしたことがありません。しかし食べ終えて長時間うどんやラーメンのスープに割り箸が浸かりっぱなしになっている状態の、スープの表面に何かが浮いているような場面は見たような気がします。「割り箸は危険」都市伝説の起源と進化(笑)
田中淳夫 | 森林ジャーナリスト2014年8月10日 12時11分配信まずは、写真を見てほしい。(写真省略)
冒頭には
「中華スープに割り箸をつけたとき、モワッと何か白くにじみ出るのが見えた。」
ここを読んで、ああ、最近このニュースが週刊誌やネットの世界でよく紹介されているな、と思った人がいるかもしれない。中国製は食品だけでなく、割り箸も危険なんだ……。
残念でした。この記事は、2007年8月17日号の「アエラ」である。7年も前のものなのだ。最近流れているのは、主に「週刊大衆」の記事のようである。
「上海のレストランで食事をしていた一般客が、割り箸を澄んだスープに入れたら、瞬く間に濁ったことから発覚しました。報告を受けた当局が調査のために割り箸を水槽に入れたら、元気に泳いでいた金魚が、ぷっかり浮かんできたそうです」(通信社中国特派員)
これはネットで公開されたものだが、私はほかにも目にしたことがあるから、このところ、いくつもの媒体で取り上げられているのは間違いない。いずれも伝聞で場所も時もはっきりせず、そして匿名だ。
しかも、今回が初めてのスクープ?ではなかったのである。
割り箸危険論の登場を探ると、アエラの記事の前に、日経ビジネスオンラインの2007年8月24日配信にも割り箸の記事があった。これは「中国・キタムラレポート」で、こちらはちゃんとネタ元を記している。大連市の新聞「半島晨報」だ。
こちらで問題にしているのは割り箸の品質保証期限の遵守だが、その中で割り箸の中には「漂白」や「乾燥」「艶出し」、そして「防カビ」に化学薬品などを使っているケースがあることも記している。この新聞は、全体にしっかり取材した様子が伝わる。
割り箸批判の起源をたどると、かなり古い。古くは、1940年に軍から出た「割り箸不要論」である。それは軍船をつくる木材が不足しているのに、割り箸のように木材を使い捨てしているのがケシカランという内容であった。木材は軍需物資であり、無駄遣いを嫌われたのだ。
だが、政府による調査も行われて、割り箸は製材時の端材から作られていることがわかると鎮静した。
戦後は、1960年代から幾度も「使い捨ての割り箸はもったいない」と割り箸不要論が起きる。たいていマスコミが火をつけて、一時は盛り上がるが、数カ月で鎮静化する動きの繰り返しだ。これらは、皆「使い捨て」の是非がテーマであった。
その根底には、割り箸が日本の森林を浪費しているのではないかという認識がある。
少し様子が変わるのは、1989年に公表されたWWF(世界自然保護基金)の「割り箸が熱帯雨林を破壊している」という資料だ。正式なレポートではなかったが、一度報道されると、またたくまに広まった。国内の森林ではなく、海外の森林を取り上げたところに「新しさ」がある。
しかし、割り箸は熱帯地域の木で作られることはほとんどないことがわかる。そこで次のターゲットとなったのは、中国の森林であった。日本の割り箸の多くが中国産であることが知られだしたからだろう。割り箸が中国の森林を破壊しているとした。(もっとも、現在の中国産割り箸の多くは、ロシア材を使っている。)
以後、1990年代に割り箸批判は強まるのだが、そこでは「割り箸は森林破壊」がテーマとなった。
それもやがて鎮静化するが、2005年に再び火がついた。それは中国の要人が「割り箸を全面禁輸する」と発言したことからだった。つまり割り箸を使えなくなることを危惧して、割り箸の代わりに塗り箸を使おうという運動になったらしい。その理由としては、やはり世界的な森林の減少が指摘された。
もっとも、全面禁輸はまったく実行されなかったのだが。
ただし、割り箸の消費量は激減した。2007年当時に年間約250億膳使われた割り箸は、現在190億膳程度である。代わって増えたのは、塗り箸ではなくプラスチック箸だ。主に外食産業が割り箸から切り替えたからだ。石油製品であるプラスチックは、環境破壊ではないと考える人が増えたのだろうか。
ここ数年、またもや割り箸批判がぶり返し始めた。
今度のテーマは「環境」というより「安全」である。とくに中国産に対する攻撃だ。中国の食品に次々と起こる安全疑惑に連動するかのように割り箸批判も起きている。
ちょうど毒入り餃子事件やメラミン粉ミルク事件が起きたりしたことが、中国の食品擬装が問題となり、中国の食品は、残留農薬や添加物がいっぱい、不衛生な製造過程である、と怒涛のように批判された。すると一緒に割り箸も取り上げられるのである。
どうやら割り箸危険論は、繰り返し登場する都市伝説のようなものらしい。
ただし、時代に合わせて理由は変わる。単に「木材がもったいない」だけでなく、森林破壊になったり、安全になったり。
「ファストフード店のハンバーガーに使われているのはミミズ肉」という都市伝説が、ときにネズミ肉になったり、3本足のニワトリになったり、中国産期限切れ肉になったり(あ、これは伝説ではないか……)するようなものだ。
いずれにしても、時流に乗って、割り箸批判も行われているのだ。資源不足や国の内外の環境問題。今は食の安全に加えて中国たたきの材料として格好のターゲットになったというわけだろう。割り箸批判も“進化“するらしい。
もし、本当に割り箸が危険だと思うのなら、自ら実験をしたらどうだろう。割り箸を水につけると白いものがにじみ出るか。金魚が死ぬか。非常に簡単で誰でもできる。手間も金もかからない。そして確認できてから騒ぐといい。(本当に確認できたら、大スクープだ。)
何もしないで伝聞・匿名で批判を垂れ流すのはみっともない、というより情けない。
「お神札は家庭のお守り」 とも言われます。正しくは、お神札を小型化して持ち歩けるようにしたものが 「お守り」 なのですが、そのことについては稿を改めることにします。
まず、お神札を祀る場所ですが、お神札が 南向き または 東向き になる場所を選びます。
勿論、神様のおしるしを祀る訳ですから、人が見降ろすことの無いように目線よりも高い場所を選びます。
和室などで座ってお詣りする場合は、座った時に目線より高くなればそれで構いません。
つまり、お参りする時に神様を見下ろすような格好になる場所は不適切と言うことです。
そして、宮形(みやがた)を準備してお神札を納めます。
宮形というのは一般に「神棚」と呼ばれる神社の形を模した、お神札を納める社のことです。
元々はこの宮形を置く棚を「神棚」と呼んでいたわけですが、次第に宮形も含めて神棚と呼ぶようになりました。
私たち神職も 宮形 の意味で 神棚 と呼ぶことも多いです。
宮形には様々な形態のものがあります。板葺のものや、実際の社殿と同じように桧皮葺きや銅板葺きのものもあります。
作りも大きなものから小さなものまで様々です。
どの宮形にするかは祀られる人の好みで選んでよいと思います。
基本的にどの宮形でも一般的なお神札は扉の中に納められるようにつくられていますが、中にはお神札の納まらないものもあるようです。
ホームセンターなどでも神棚(宮形)を扱っているところがあるようですが、神具店で求められる方が間違いがありません。
神社によっては授与所で神棚(宮形)をお頒ちしているところもあります。伊太祁曽神社でも神棚(宮形)をお頒ちしています。
宮形に納めるお神札は「天照皇大神宮」「氏神様」「崇敬神社」の3種類です。
「天照皇大神宮」のお神札は伊勢の神宮のお神札で、「神宮大麻」「お伊勢さんのお神札」などと呼ばれます。
日本の国の守り神様ですので、必ず神棚に祀ることとされています。
「氏神様」のお神札は今現在あなたがお住まいの土地の守り神様のお神札です。どこの神社が氏神様になるのか判らない場合は、その土地に古くから住む人に尋ねるか、最寄りの神社で尋ねると良いでしょう。
この2つのお神札は必ず神棚に祀ることになっています。
そして「崇敬神社」。これは自分が特に信仰していたり、旅行などで参拝して頂いてきた神社のお神札です。崇敬神社のお神札は何体あっても構いません。
つまり、宮形には最低2体のお神札が祀られているのが正しい姿であり、お祀りするお神札の数に上限はありません。
これらのお神札には祀る順番が決まっています。
扉が3枚ある宮形では、中央に「天照皇大神宮」、向かって右に「氏神様」、向かって左に「崇敬神社」のお神札を納めます。
多くの家庭の宮形は扉が1枚だと思いますが、その場合は手前から「天照皇大神宮」「氏神様」「崇敬神社」の順に重ねます。
「崇敬神社」が複数ある場合の順番には特に決まりがありませんので、自分で思うように重ねて頂いて結構です。
最近は「お神札フォルダー」などと称した簡易宮形の様なものもあるようですが、私はあまりおすすめしていません。
家族を見守っていただく神様のおしるしを 「簡易宮形」 で良しとしてしまうのは感心しないからです。
簡易宮形はいわば仮設住宅ですから、諸事情により一時的に使われるのは仕方がありませんが、いつまでも簡易宮形にお祀りして良いというものではありません。お神札フォルダーなどに祀ってしまうと、大抵の方はそれで安心してしまい、きちっとした宮形を準備して祀るということを怠ってしまいます。ですから、私は最初からおすすめしないのです。
むしろ、それならば宮形の準備ができるまでの間、お神札だけをむき出しの状態で祀ることを、私はお話しています。
お神札がむき出しのまま祀られていれば、やはり少しでも早くきちっと祀らなくてはいけないと思うのが心情というものですから。
ご家庭に宮形(神棚)がないという方、新年から神様をお祀りされてはいかがでしょうか。
12月になりました。今年も残すところあと1ヶ月ですね。
この年末の1ヶ月というのは日本人の信仰が多様であることを顕著に見ることができると思っています。
正確にいうと12月の1ヶ月ではなく、本当に年末の1週間程度とも言えますが。
11月の下旬ころから気の早いところではクリスマスソングが流れ始めますね。
そもそも、これが日本人の信仰が多様であることを示す序曲です(笑
12月25日のクリスマス、どちらかと言うと日本ではその前夜であるクリスマス・イブに意識が集まっているように思いますが、いずれにしてもこの行事はキリスト教に由来するキリストの生誕祭です。
そしてクリスマスが済むと、世の中は慌ただしく迎春モードに切り替わります。
クリスマスツリーが片づけられ、門松やらが出てくるのがこの時期。家庭用の正月飾りなどもこの頃から慌ただしく求める人が多いのではないでしょうか。
そして年の最後の最後に、除夜の鐘が鳴らされます。所によっては除夜の鐘を衝かせていただけるお寺もあるようですね。
そう、今書きましたように除夜の鐘は寺院。つまり仏教ですね。
そして年が改まると、多くの方は初詣に出かけます。行き先の多くは神社。中にはお寺に初詣をされる方もありますが、どちらかというと神社の方が多いようです。
神社は神道です。
つまり、このわずかな期間に日本人はキリスト教、仏教、神道に触れて行くわけですね。
なんともまぁ慌ただしい。
ところで、月の和名で12月は師走(しわす)と言います。
師走の由来には諸説あるようですね。
師匠も走り廻る忙しい時期なので 「師走」 というのが、よく聞く由来でしょうか。
小学生などに分かりやすく説明するために 「先生も走り廻るから・・・」 という方もあるようですが、子供にしてみればなぜ年末になると学校の先生が走り廻らなくてはならないのかピンときませんから、さっぱりわからないでしょうね。
また、一説では 師走 の ”師” は 師匠 ではなく 法師 であるとして、お坊さんが走るからとする説もあるようです。
確かに年末に除夜の鐘を衝いたりするので、お坊さんも年末は忙しいでしょう。なんとなくわかるような気がしますね。
結局のところ 師走 の語源については 「語源不詳。『師走』は当て字」(国語大辞典) などとあり、よくわからないようです。
ここで1つ違う説を紹介しておきます。
平安時代末期から、お伊勢さん(一般にいう伊勢神宮)の御神徳を広く知ってもらうために、伊勢神宮の神職が 「御師(おし、おんし)」 として全国各地に足を運びました。
神宮大麻(=お伊勢さんのお神札)を持って、全国津々浦々に配り歩き、伊勢の大神様の御神徳を説いて回ったのです。
これが、やがて江戸時代の 「おかげまいり」 の下地となって行くわけですね。
さて、当然年末になると、新年に新しいお神札を祀って貰わなくてはなりません。御師も早足で全国行脚をするわけです。
つまり、「御師が走る=師走」 というのが私の考えです。
この説の1つ強いところは、「師が走る」 の師を、師匠とか法師 から一文字とるのではなく、まさに 師 そのものということですね。
御師と書きますが、「御」 は 御礼 とか 御神札 とかの ”御” ですから、つまり 「師」 なわけです。
さて、師走の由来について書きましたが、年末には家庭の神棚のお神札を新しくします。
今は御師の制度は廃止されてしまいましたが、替わって全国の神社でお伊勢さんのお神札を受けることが出来るようになっています。
地域によっては氏神様の神職や総代さんが各家庭を廻って、神宮大麻や氏神様のお神札を配って廻っているところもあります。
師走=御師が走る という月であったならば、やはり12月には家庭の神棚のお神札を新しくしましょう。
神棚の祀り方がよくわからないのであれば、お気軽にお近くの神社にお問い合わせください。
今日は伊勢の神宮では 神嘗祭(かんなめさい)というお祭りが行われます。
神宮の年間祭祀の中で特に重要なものを三節祭(さんせつさい)と呼びますが、神嘗祭はその三節祭の1つで、天皇陛下が収穫された新穀をお供えし、皇室のご繁栄と国家の安泰、五穀の豊穣、国民の平安をお祈りします。
神宮は125の神社の総称であると書きました。
それぞれの神社の鎮座地は伊勢を中心に各所になりますが、内宮・外宮の宮域にもいくつかの神社が鎮座しています。
詳しくはこちらの過去記事を参照ください。http://itakiso.blog.shinobi.jp/Date/20131003/1/#entry904
さて、内宮・外宮参拝の順路のようなものが紹介されている本やサイトも多数あります。
概ねその通りに参拝されればよいのですが、これらにも時々誤った記述があるように思います。
また、参拝の1つの順番として参考にすればよいのですが、その順番が唯一絶対の様に捉えられかねない記載がされていることもあるようです。
先日、とあるテレビ番組では、「神宮の御正宮では個人的なお願いごとをしてはいけません。個人的なお願い事は内宮の荒祭宮ではしてよいことになっています。」と紹介されていました。
昔から神宮は「私幣禁断」と言われ、個人的な祈願のためにお供えすることはできないとされてきました。ですからテレビ番組で紹介していた前半の部分は誤りではありません。しかし、この「私幣禁断」というのは御正宮に限ってのことという意味ではなく、あくまで ”神宮” ですから荒祭宮では私幣を納めてよいいうことにはならないと思うのです。どこからこういう話がでたのか、ちょっとよくわかりません。
しかし、この話はいろいろな形で広がっているのでしょうか。近年、荒祭宮にも以前では考えられないほどの長い参拝の列ができているのを見かけます・・・。
伊勢の神宮が20年に1度の式年遷宮を迎え、今年は空前の伊勢参宮ブームのようです。
年間1,000万人の参拝がすでに確実視され、1,300万人程度と目されているようです。
伊勢参宮は江戸時代に数度ブームとなりました。いわゆる「お陰まいり」です。
当時は徒歩での移動しかありませんから、日本全国から歩いて何日もかけて神宮へ参拝をしました。
当然費用も莫大にかかります。「一生に一度はお伊勢詣りをしたい」というのが庶民の夢だったようです。そのため、村の皆でお金を出し合って籤などで選ばれた代表者が伊勢参宮をしたり、身代りに犬を参宮旅行に出したりということもよくあったようです。
さて近年、伊勢参宮に関するガイドブックが数多く出版されています。
いろいろなことが記されているようですが、中には少々誤った記述がされているものあるようです。
そんな中、比較的よく見かけるものについて記しておきたいと思います。
の10社、外宮所管の別宮は
の4社です。別宮については、いずれ個別に紹介したいと思います。
摂社は延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記されている神社です。延喜式神名帳とは平安時代に編纂された法令集『延喜式』の巻9・10のことで、ここには全国の神社3000余社が記されています。延喜式神名帳に記されている神社を一般には「式内社」と呼びますが、摂社はいわば神宮所管の神社で式内社であるものと言えると思います。
(ちなみに伊太祁曽神社も式内社です)
末社は延暦儀式帳に記載があるが延喜式に記載のないものを言います。延暦儀式帳とは延喜式編纂よりも前の延暦年間に神宮から朝廷に提出された書面で、神宮の由緒や祭典などについて詳細に記されています。『皇大神宮儀式帳』『止由氣宮儀式帳』を総称して「延暦の儀式帳」という呼び方をします。
所管社は上記以外に神宮が祭祀の執行に直接関係のある神々をお祀りし、末社に準じて祭祀を行う神社を言います。
こういった多数の神社を総称して 神宮 と呼ぶのです。
ですから、これらを巡拝するだけでも、伊勢に何度足を運んでも毎回違う参拝の仕方ができるというのも、神宮のすごいところです。
次回は、神宮のお参りの仕方について記したいと思います。
今日は、「春分の日」として”休日”ですが、これは宮中で「春季皇霊祭」という祭典が執り行われる”祭日”であることに由来します。つまり”祭日”なんですね。
皇霊祭という祭典は、皇室のご先祖(つまり歴代天皇など)を祀るお祭りです。
春と秋に行われ、それぞれ春分の日、秋分の日が祭り日になっています。
この日は彼岸の中日でもありますね。
ちなみに 「春分の日」 「秋分の日」 が休日なのは、「春季皇霊祭」 「秋季皇霊祭」 に由来します。
明治11年の太政官布告により春季皇霊祭と秋季皇霊祭が祝祭日と定められましたが、戦後は昭和23年の国民の祝日に関する法律により、「春分の日」「秋分の日」という休日に改められました。
そのため、休みの意味が分かりにくい日の1つになっています。