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木の神様を祀る伊太祁曽神社(和歌山市鎮座)のブログ。

木の国神話の社 禰宜日誌

   

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パワースポットを考える ①

パワースポットブームについて記そうと書き始めたところ、本論にたどり着くまでにそれなりの分量の記事となってしまったので、「割り箸論争」 以来の連載記事にすると前回書きました。
 前回の記事(パワースポットブームに思う)はこちら

毎週に記事を更新する予定にしていたのですが、「続きは?」というご要望が結構あったので、第2回を繰り上げて掲載します。(次回以降は毎週水曜日に掲載予定。)

パワースポットという用語自体、あまり好きではないのですが、一般に分かりやすいようにあえて使用します。
ちなみに、ここでは

パワースポットとは、
人が己の活力を回復させることのできる場所


という意味合いで使用したいと思います。
癒しの場所、気の多くある場所等々の意味合いも、比較的近い内容と捉えていただいてもよいと思います。

さて、パワースポットブームで、テレビや雑誌で紹介された場所には、遠くからでも人が集まるようですが、そんなにわざわざ遠くに行かなくとも、本当に身近にパワースポットがあるのを、ご存知ですか?

拍手[3回]


一番身近はパワースポットは、それぞれの 「家庭」 なんですよ。
仕事や学校などで外に出ていても、家に帰るとホッとしますよね。
ホッとするということは 「癒し」 を得ている訳ですし、そもそも 自分の居場所=ホーム ですからね。

「そんなこと知っているよ」 という方、単純にどんな家庭でもパワースポットな訳ではないのはご存知ですか?

「なんだ、そんなのじゃ面白くない。他所のパワースポットに行くほうが力があるような気がする」 と思った方。
家庭をきちっとパワースポットにしなくては、他所に行ってもあまり意味がないってご存知ですか?


「帰りたくない家」 は、既にパワースポットではなくなっているのかも知れません。
自分自身の気が濁っているから、パワースポットである家に帰るのが嫌なのかも知れません。
両者は、全く逆の方向性ですね。

この見極めは、比較的簡単だと思います。
その人自身が、他のパワースポットと呼ばれる場所に 「あまり行きたくない」 と感じるのであれば、その人の 気が濁っているのでしょう。
他の場所には行きたいし、行って気持ちが安らぐのに、自宅ではそういう感覚にならないというのであれば、家がパワースポットとしての力を失っているということになります。


それでは、自分の家を パワースポット = 自分の安らぎと新たな活力を得られる場所 とするには、どうしたらよいのでしょうか?

これは、次回(7月28日水曜日UP予定)ということで・・・。
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