この釜は 天保6年(西暦1835年)に奉納されたもののようで、写真の様に年号が彫られています。
天保6年と言うと、天保の大飢饉の前年ですね。
神社にはもう1つ鼎があり、こちらには文化年間の奉納と彫られています。
この釜は少し小さいため、現在は使用していないのですが・・・。
今日は大釜に湯を沸かして、その中に占いに用いる竹筒を沈めて、釜と竹筒の灰汁抜き作業を行いました。
明日は、午前中に火鑽具(ひきりぐ=木を木をこすり合わせて火を熾す祭具)を用いて忌火を鑚り出して、夜の粥占に向けて、小豆粥を炊く準備を行います。
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COMMENT
初めてみました。
豊凶占いも祭典のひとつなのですね。
この祭典のルーツはいつからなのでしょう。
弥生?大陸から伝ったもの?
ともかく、鼎という祭器にも
歴史の重厚さを感じさせられます。
礼器という側面だけでなく、
三本足のその姿から、
古来より鼎は、
様々な教義を喩える際に
使われたとも聞きます。
何かご存じのことあれば教えてください。
話は変わりますが、
香炉も鼎になっていますよね…
まるすぎ様(Re:まるすぎ)
卯杖祭自体は平安期の儀式書に見ることができますから、その頃には形としても整っていたことがわかりますが、伊太祁曽神社ではいつごろから行われているのか、よくわかっていません。
鼎の呪術性については、まず全国で行われている粥占神事を調べてみる必要が有るかもしれませんね。