忍者ブログ

木の神様を祀る伊太祁曽神社(和歌山市鎮座)のブログ。

木の国神話の社 禰宜日誌

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

新年おめでとうございます

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年頭の挨拶としては「明けましておめでとうございます」が多いのですが、これは本来は1月1日に限っての挨拶だとか。2日以降は「新年おめでとうございます」が正しいそうです。

平成26年も3日目になりました。午前8時には元始祭を御奉仕いたしました。
3日目となりますと、参拝者の出足も遅くなり、8時頃にはまだあまり姿を見かけません。

私のお正月の朝の仕事はお祭りの準備は勿論ですが、写真のように火を熾すのもその1つ。
お正月の伊太祁曽神社名物の焚火です。
寒い中、参拝者の皆様に少しでも暖をとっていただこうと、昔から行われています。
この場所は結構参拝者とのふれあいの場所にもなっています。

今年は4日が土曜日、5日が日曜日です。まだ初詣に行かれていない方、また既に初詣は済ませたけど伊太祁曽神社はまだお参りしていないという方、是非お参りください。

ちなみに焚火は7日までは焚いております。

拍手[1回]

PR

飾り絵馬

摂社である氣生神社の例祭 氣神祭 を終え、いよいよ迎春準備が本格化します。
干支の縁起物は元旦からの頒布なのですが、唯一先行頒布を行うのがこの「飾り絵馬」。
毎年12月12日から頒布することにしています。

今年の飾り絵馬はこちら。
 
飾り絵馬の絵柄は、毎年 伊太祁曽神社の崇敬会会長である大徳寺昭輝氏によるものです。
大徳寺氏は、現在 雑誌『女性自身』で古事記に縁ある神社を巡る連載を行っているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

ちなみに裏面には今年から焼印を押すことにしました。
「木は氣に通ず」ということで「木の神様」の「氣」をいただくという意味の「氣」が焼印で押されています。
焼印の文字は宮司の篆刻によるものです。
 

絵馬は本来、参拝者が馬の代わりとして納めたものですから、各自で準備をして参拝したと考えられますが、いつの時代からか神社で授与品として準備されるようになりました。やがて神社でいただいた絵馬を持ち帰るという習慣ができたと考えられます。
伊太祁曽神社の飾り絵馬は、家庭に飾っていただくものですので、裏面に焼印を押して願い事を書く場所がなくなっても問題ありません。
その年の干支を飾るのは、昔から 縁起物 といって、福を呼び込むとされているからです。
迎春準備に、飾り絵馬はいかがでしょうか?
ご参拝の折に、授与所にお立ち寄りください。

拍手[2回]

氣神祭・氣神講々社祭

12月12日は 摂社である 氣生神社の例祭です。
併せて、氣生神社を崇敬する人たちの集まりである 氣神講の講社祭を執り行っています。

今年も午前10時からの祭典に、全国各地から80名程の崇敬者が参列されました。
祭典に続いて行われる神賑行事では、伊太祁曽神社の大きなお祭りにいつも伶人奉仕をしてくださる日天楽舎の皆さんによる雅楽の演奏が行われました。
 
祭典では祭場の都合で三管(篳篥・龍笛・鳳笙)の演奏ですが、今回の奉納演奏では三管三鼓(楽太鼓・鞨鼓・鉦鼓)での演奏を奉納されました。
祭典後は常盤殿で直会。
寒い中での祭典でしたが、敬神婦人あじさいの会による暖かいみそ汁の振る舞いもあり、みなさん一様に喜んで帰られました。

拍手[1回]

境内の紅葉

今年の境内の紅葉は、木によってマチマチ。
比較的綺麗に色づいているものを撮影してみました。 
 



 

 

拍手[2回]

おみくじの引き方


12月に入りました。いよいよ今年も残すところあと1ヶ月を切りました。
世間一般でも慌ただしくなりますが、私たちは特に迎春準備で慌ただしくなります・・・。

さて、年が明けると多くの皆さんは近くの神社仏閣に初詣に行かれると思います。
初詣の意味や作法についても記しておきたいのですが、それはまた別の機会にします。

初詣に限らず、お参りの後に「おみくじ」を引かれる方も多いと思います。
普段の日でも、社頭の様子を見ていると おみくじ を引く方は結構いますね。
ただ、おみくじの正しい引き方を知らない人が案外多い。

という訳で、おみくじの正しい引き方について記しておきたいと思います。
おみくじについては以前にもこのブログで少し説明しましたが、今回はより詳しく書いてみたいと思います。→ 以前の記事「おみくじ」はこちら

拍手[32回]

裸詣り 参加者募集

今年も裸詣りを行います。

 「裸詣り」は1月15日の成人の日に行われていた紀の川筋に住む人々の成人儀礼と言われており、同日の夜明けに下帯ひとつで伊太祁曽神社に参拝するという行事でした。腰に注連縄を巻いて走り、神社に到着するとその注連縄を杉の木に巻きつけて無病息災を祈願したと伝えられます。
 この習慣は戦後途絶えてしまいましたが、昭和50年代にジョギングブームの中復活し、一時は200名を越す人が参加していましたが次第に廃れ、平成に入ってからは地元の古老がただ一人その習慣を守って1月15日の夜明け前に参拝していました。また地元の少年野球団の小学生が15日に近い練習日に、グラウンドから神社までを上半身裸で往復して、伝統行事の面影を伝えてきました。

 この歴史ある「裸詣り」を広く知ってもらおうと、山東まちづくり会が一昨年から広く参加者を募集して「裸詣り」を行っています。明年も下記の要領で行いますので、興味のある方は是非ご参加ください。

日  時:平成26年1月13日(月・成人の日)
集  合:11:00 四季の郷公園 四季さい館前
募集人員:先着50名(申し込み締め切り平成26年1月4日)
服  装:上半身裸(女性は白Tシャツ等着用)刺青禁止
申込方法:メール・FAX・はがきのいずれかでお申し込みください。(詳しくはこちら
参  加  費:500円/人(注連縄、木札、保険料等含む)

一昨年の裸詣りの様子はこちら

拍手[0回]

写真展 聖地の風


11月15日(金)より齊藤文護氏の写真展「聖地の風」が常盤殿で開催されています。(10:00~16:00、18日まで)


心の中に涼風が吹き抜けるような、とてもすがすがしい写真が展示されています。
是非、お運びください。

齊藤文護Healing Photograph

拍手[1回]

職場体験学習

今年も秋の職場体験学習を受け入れました。
現在3つの中学校から職場体験学習の依頼があり、春に日進中学校、秋に東中学校と髙積中学校の生徒が体験学習にやってきます。
今年は、東中学校と髙積中学校の体験学習の日程がぴったりと同じ!という訳で2校同時受入をし、合計8名の中学生がやってきました。(東中学校12~14日、髙積中学校12~13日)

初日は、まず神社の由緒や神道について学び、午後からは年末に氏子崇敬者に頒布する神宮大麻と伊太祁曽神社剣先札を袋に入れる作業を行いました。

二日目は、年末に奉製する注連縄の材料となる稲藁の整理作業。ほぼ1日中藁束を解いて整えて結びなおすという作業に従事してもらいました。
そして、二日日程の髙積中学校の生徒は午後から体験学習修了奉告祭に参列。それぞれ玉串を神前に奉り拝礼しました。
 

東中学校の生徒は三日日程でしたので、最終日は昨日整理をした藁を使って注連縄の奉製を行いました。皆はじめてとは言っていましたが、なかなか上手に注連縄を綯うことができ、それぞれの家庭用として持ち帰りました。午後からは髙積中学校の生徒と同様に修了奉告祭に参列し、それぞれ玉串拝礼を行いました。
 

二日または三日間という短い日程でしたが、この体験学習で得たことが将来役に立ってくれればと思います。

拍手[0回]

三遊亭栄楽 独演会

三遊亭栄楽師匠の落語会が11月13日に常盤殿で行われました。
栄楽師匠の落語会が伊太祁曽神社で行われるのはこれで4回目です。

今回の落語会は、神武天皇の足跡を辿るとして、宮崎を出発し橿原を経て伊勢に向かう道中で高座を開きながらという企画。

神武天皇は現在の和歌山市付近で苦戦をし、遂には兄である彦五瀬命を失います。その後、いったん南下して再び戦を行い進軍できたと伝えられています。
ちなみにこの時に命を落とされた彦五瀬命が祀られているのが竈山神社です。

今回は落語2席にの後、神道や伊勢の神宮についての講話も行われました。何度も記している通り、栄楽師匠は神職の資格を持つ、ちょっと変わった経歴を持つ落語家です。


この後、熊野速玉大社で高座を予定しているとのことで、バイクにまたがって南進してゆきました。

拍手[0回]

木のオカリナ

 
オカリナという楽器を知っていますか?
とても澄んだ音のする笛の一種で、普通は石?粘土?で作られています。

今回、木製のオカリナによる演奏が奉納されました。
奉納されたのはこちらの方々

木製オカリナは「樹・音(じゅね)」と名付けられているようです。
大変興味深かったのは、いろんな樹種で作られていること。
勿論楽器ですから、どの木で作っても同じ音階の音が出るわけですが、音の特徴というか雰囲気というかが種々によって異なるというのが面白いですね。

少し吹かせてもらいましたが、すぐに音が出るので誰でも演奏できるようになると思います。
暖かな音色が印象的でした。

拍手[0回]

和太鼓てきゃら ライブ演奏会

和歌山出身の夫婦プロ和太鼓奏者 てきゃら さんは時々このブログでも紹介していますが、今年も秋季例大祭神幸祭には和歌山へ帰ってきて行列とともに太鼓を叩きながら参加してくれます。
勿論、発與式(はつよしき:お神輿の出発に際してのお祓い)にはいつも通り太鼓の演奏もしていただけることになっています。発與式での和太鼓演奏もすっかり定着しましたね。

さて、その てきゃら のミニライブを今年も、伊太祁曽神社常盤殿で行います。
10月26日午後2時開演。入場料は1500円(中学生以下600円)です。
 
昨年のライブでは、写真のように会場の皆さんにも和太鼓を叩いてもらい、一緒に演奏する場面もありました。とても楽しいライブですので、是非お越しください。
尚、チケットはすべて当日売りになります。

拍手[1回]

伊勢の神宮 その3(参拝の作法)

今日は伊勢の神宮では 神嘗祭(かんなめさい)というお祭りが行われます。
神宮の年間祭祀の中で特に重要なものを三節祭(さんせつさい)と呼びますが、神嘗祭はその三節祭の1つで、天皇陛下が収穫された新穀をお供えし、皇室のご繁栄と国家の安泰、五穀の豊穣、国民の平安をお祈りします。


神宮は125の神社の総称であると書きました。
それぞれの神社の鎮座地は伊勢を中心に各所になりますが、内宮・外宮の宮域にもいくつかの神社が鎮座しています。
詳しくはこちらの過去記事を参照ください。http://itakiso.blog.shinobi.jp/Date/20131003/1/#entry904

さて、内宮・外宮参拝の順路のようなものが紹介されている本やサイトも多数あります。
概ねその通りに参拝されればよいのですが、これらにも時々誤った記述があるように思います。
また、参拝の1つの順番として参考にすればよいのですが、その順番が唯一絶対の様に捉えられかねない記載がされていることもあるようです。

先日、とあるテレビ番組では、「神宮の御正宮では個人的なお願いごとをしてはいけません。個人的なお願い事は内宮の荒祭宮ではしてよいことになっています。」と紹介されていました。
昔から神宮は「私幣禁断」と言われ、個人的な祈願のためにお供えすることはできないとされてきました。ですからテレビ番組で紹介していた前半の部分は誤りではありません。しかし、この「私幣禁断」というのは御正宮に限ってのことという意味ではなく、あくまで ”神宮” ですから荒祭宮では私幣を納めてよいいうことにはならないと思うのです。どこからこういう話がでたのか、ちょっとよくわかりません。
しかし、この話はいろいろな形で広がっているのでしょうか。近年、荒祭宮にも以前では考えられないほどの長い参拝の列ができているのを見かけます・・・。


拍手[3回]

例祭と子供みこし

昨日10月15日は伊太祁曽神社の例祭日でした。

午前10時からの祭典には氏子総代を始め、氏子崇敬者の方が参列しました。
この日は、昔から有田市千田に鎮座する須佐神社の総代2名も参列するしきたりになっています。
江戸時代の伊太祁曽神社年中行事にも伊太祁曽神社の祭に須佐神社から神人がやってくるとの記載があります。
現在は、10月14日の須佐神社例祭に伊太祁曽神社から氏子総代が、翌15日の伊太祁曽神社例祭に須佐神社から氏子総代2名が、それぞれ代参としてお参りすることになっています。

昨日は、祭典開始時刻が近づくと雨が降り出しました。
当社のお祭りで雨が降ることは珍しくありませんが、大抵「清めの雨」とも言える雨で、遅くても祭典直前にはあがってしまうのですが、今回は祭典間際になって降り始めました。
記憶を遡ってみると、祭典時に雨が降るときは毎回何かが大きく改まった時でした。
祭典次第を整えて規模を大きくした最初の年とか・・・。
今年は出雲と伊勢の御遷宮の年でした。そういったことだったのでしょうか・・・。よくわかりませんが・・・。

本来は10時からの例祭に引き続いて神輿渡御となるのですが、現代では週末でないと担ぎ手が集まらないとの理由から渡御祭は例祭後の最初の日曜日に斎行しています。今年は20日です。
その代わりという訳ではありませんが、15日には子供みこしがでます。
氏子地区内に2つ小学校がありますが、両校の6年生が担ぐことになっているようです。
学校としては地域学習の一環として取り組んでくれており、そのため日曜日よりは平日の方が都合がよいとのことで、本来神輿が出る日である10月15日に行っています。


今年は、1校が学校行事と重なるということで、1校のみとなりました。
しかも生憎の雨でしたので、予定の一の鳥居まで行かず、拝殿前を数往復するだけになりましたが、子供たちは元気に神輿を担いでくれました。


子供みこしの後、参列者は奥宮に移動して祭典を行います。
奥宮は本社の北約3kmの位置にあり、ここまで神輿が渡御して祭礼を行うのです。
20日の渡御祭でも勿論祭典を行いますが、本来は15日に行われるべきものですので、氏子総代参列の下、奥宮での祭儀も滞りなく執り行いました。
上の写真は奥宮の社殿ですが、渡御祭では神輿や行列の威儀物がこの前に並びとても賑やかな祭儀となります。

奥宮での祭礼の後、本社に戻り直会を執り行いました。


20日の渡御祭(神幸祭)では、上の写真の 本神輿3基が出ます。
正午の出発、還御は夕方4時過ぎの予定です。

拍手[1回]

伊勢の神宮 その2(参拝の順序)

伊勢の神宮が20年に1度の式年遷宮を迎え、今年は空前の伊勢参宮ブームのようです。
年間1,000万人の参拝がすでに確実視され、1,300万人程度と目されているようです。

伊勢参宮は江戸時代に数度ブームとなりました。いわゆる「お陰まいり」です。
当時は徒歩での移動しかありませんから、日本全国から歩いて何日もかけて神宮へ参拝をしました。
当然費用も莫大にかかります。「一生に一度はお伊勢詣りをしたい」というのが庶民の夢だったようです。そのため、村の皆でお金を出し合って籤などで選ばれた代表者が伊勢参宮をしたり、身代りに犬を参宮旅行に出したりということもよくあったようです。

さて近年、伊勢参宮に関するガイドブックが数多く出版されています。
いろいろなことが記されているようですが、中には少々誤った記述がされているものあるようです。
そんな中、比較的よく見かけるものについて記しておきたいと思います。


拍手[3回]

伊勢の神宮 その1

昨晩は、伊勢の神宮で20年ごとに行われる式年遷宮の最も重要な儀式である 遷御(せんぎょ)が執り行われました。
遷御というのは、わかりやすく簡単に言うと、神様のお引越しです。伊勢の神宮では20年ごとに社殿を新たにして神様にお引越しいただくという神事を1300年前から制度化して続けています。今回の御遷宮は62回目となります。

近年のパワースポットブームなどと相まって、今年の神宮への参拝者は過去に例のない1000万人を超えることが確定的だそうです。
神宮に関するガイドブックや特集記事も例年になく多いようで、いろいろなものが刊行されているようですが、中には我々が見て「?」と思うような記事もあったりします。
大きく間違っているわけではないが、微妙に違うというものもしばしば目にします。

いくつかについては、FaceBook などで紹介したりしてきましたが、詳しく知りたいというコメントなどがありましたので、ブログのほうで取り上げさせてもらうことにしました。

久々に 連載記事 として綴ってゆこうと思っています。
(そもそも最近、ブログの更新自体が滞りがちでスミマセン)

とはいえ、市販のガイドブックも大部分が正しく記されていますから、新しいこと、知らないことが満載という訳にはゆきません。
ほとんどが 「知っているよ」 という内容になるかもしれませんが、ご容赦ください。



初回の今回は もっとも基礎的な部分を記しておきます。

よく「伊勢神宮」と表記・表現されますが、正式には「神宮(じんぐう)」とのみ申し上げます。
全国には ”神宮” のつく神社がたくさんあります。
東京の明治神宮、名古屋の熱田神宮などをはじめ、北海道神宮(北海道)、鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)、東京大神宮(東京)、氣比神宮(福井)、近江神宮(滋賀)、平安神宮(京都)、橿原神宮(奈良)、石上神宮(奈良)、吉野神宮(奈良)、伊弉諾神宮(兵庫)、赤間神宮(山口)、宇佐神宮(大分)、宮崎神宮(宮崎)、鹿児島神宮(鹿児島)、霧島神宮(鹿児島)・・・などなど。
これらの神社は全て ○○神宮 という名称ですが、伊勢は 伊勢神宮 ではなく 単に 神宮 なんですね。

ただ、私たち神職も一般の皆さんにわかりやすいように 「伊勢の神宮」と表現したり、普通に「伊勢神宮」「お伊勢さん」などと呼ぶこともあります。


さて、神宮といいますと、内宮(ないくう)と外宮(げくう)の2つの社殿を思い浮かべる方も多いと思います。少し詳しい方なら、荒祭宮(あらまつりのみや)や多賀宮(たがのみや)などの別宮も思い浮かべるかもしれません。
神宮は2所の正宮(しょうぐう)と14所の別宮(べつぐう)、109の摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・所管社(しょかんしゃ)の合計125のお社から成り立っています。
そしてこれら125のお社の鎮座地は三重県伊勢市を中心として、松阪や鳥羽、志摩にも広がります。

内宮は正式には皇大神宮(こうたいじんぐう)といい、皇祖神である天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)をお祀りしています。一般には天照大神(あまてらすおおみかみ)と呼ばれる神様ですが、神宮では祭祀の際には特に御神前で慎み畏んでこのようにお呼びしています。内宮所管の別宮は10、摂社は27、末社は16、所管社は30あり、さらに別宮の所管社が8あります。

外宮は正式には豊受大神宮(とようけだいじんぐう)といい、御饌都神(みけつかみ)である豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りしています。
第21代雄略天皇の御夢に天照坐皇大御神の御教があり、丹波国に祀られていたこの神をお迎えしたと伝えられています。
外宮所管の別宮は4、摂社は16、末社は8、所管社は4あります。

別宮とは宮号(きゅうごう)を有する社です。両正宮を本宮としてその別れの宮という意味です。

内宮所管の別宮は
  • 荒祭宮(あらまつりのみや)・・・天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)を祀る
  • 月読宮(つきよみのみや)・・・月読尊(つきよみのみこと)を祀る
  • 月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)・・・月読尊の荒御魂を祀る
  • 伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)・・・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀る
  • 伊佐奈弥宮(いざなみのみや)・・・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る
  • 滝原宮(たきはらのみや)・・・皇大御神御魂(すめおおみかみのみたま)を祀る
  • 滝原竝宮(たきはらのならびのみや)・・・皇大御神御魂を祀る
  • 伊雑宮(いざわのみや)・・・皇大御神御魂を祀る
  • 風日祈宮(かざひのみのみや)・・・級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀る
  • 倭姫宮(やまとひめのみや)・・・倭姫命(やまとひめのみこと)を祀る

の10社、外宮所管の別宮は

  • 多賀宮(たがのみや)・・・豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)を祀る
  • 土宮(つちのみや)・・・大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)を祀る
  • 月夜見宮(つきよみのみや)・・・月夜見尊(つきよみのみこと)、月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)を祀る
  • 風宮(かぜのみや)・・・級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)を祀る

の4社です。別宮については、いずれ個別に紹介したいと思います。

摂社は延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記されている神社です。延喜式神名帳とは平安時代に編纂された法令集『延喜式』の巻9・10のことで、ここには全国の神社3000余社が記されています。延喜式神名帳に記されている神社を一般には「式内社」と呼びますが、摂社はいわば神宮所管の神社で式内社であるものと言えると思います。
(ちなみに伊太祁曽神社も式内社です)

末社は延暦儀式帳に記載があるが延喜式に記載のないものを言います。延暦儀式帳とは延喜式編纂よりも前の延暦年間に神宮から朝廷に提出された書面で、神宮の由緒や祭典などについて詳細に記されています。『皇大神宮儀式帳』『止由氣宮儀式帳』を総称して「延暦の儀式帳」という呼び方をします。

所管社は上記以外に神宮が祭祀の執行に直接関係のある神々をお祀りし、末社に準じて祭祀を行う神社を言います。

こういった多数の神社を総称して 神宮 と呼ぶのです。
ですから、これらを巡拝するだけでも、伊勢に何度足を運んでも毎回違う参拝の仕方ができるというのも、神宮のすごいところです。

次回は、神宮のお参りの仕方について記したいと思います。

拍手[5回]

ブログ内検索

暦(カレンダー)

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

最新コメント

[01/02 東川町民]
[05/14 和佐]
[07/03 ながお]
[07/02 ながお]
[06/29 ながお]
[05/25 あずはる☆ブログ]
[01/07 石都都古和気神社・祢宜]
[06/26 通りすがりのものです]
[08/02 通りすがり]
[05/16 ぽぷら]

最新トラックバック

カウンター

アクセス解析

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 神道へ
Copyright ©  -- 木の国神話の社 禰宜日誌 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]